03 1月

国際文化交流•イラン文化講演 バスィル・マルズィエさん夫妻解説

日本語教室 「ほっと もりぐち」 中西代表
「ほっと」できる学習者のオアシス! 安心して、和気藹藹で学習できる憩いの教室!
「馨しい(声・殳・香)」と言う美しい言葉がありますが、この字を分解すれば、3つの文字に分かれます。「あたたかく、やさしい声の交流によって、平和に共存できる」という心温まる言葉だと思います。かぐや姫の物語も、それに由来するという説もあります。かぐや姫のような外国人と協調共存することの大切さを、しみじみと教えてくれる言葉です。

「赤い血液を輸血して助け合える同じ人間なんだ」という認識を持って、在日外国人の方々が、日本に在住して、困らずに快適に暮らしていただけるように、日本語学習のお手伝いをしたり、日本伝統文化の紹介伝達などの交流を通して、日本を第二の母国として、愛して下さるようになれば、日本人の一人として、望外の喜びだと心から思っています。
会員 泉原勅三

03 1月

2014/05/18 守口 平和講堂 文化センター CAL代表泉原氏講演 

2014/05/18 守口 平和講堂 文化センターで泉原先生は「多国留学生との交流&英語勉強の素晴らしさ」について講演

元来、性格が人見知りをして、内向的なうえに、早口なので、お聞き取りにくい点も多いと思いますが、ご容赦ください。お話したいことがたくさんありますので、長い原稿になりましたが、15分以内に収めたいと思いますので、割愛しました。そのために、前後の脈絡が不自然な場合があると思います。この点もご容赦お願い致します。
数え年で65歳になった今、聖徳太子の十七条憲法「和を以て貴しとなせ」から、徳川家康の家訓「人の一生は 重き荷を負いて、遠き道を行くがごとし。急ぐべからず、不自由を常と思えば、不足なし」などにもよく知られているように、1400年間の日本思想のバックボーンになってきた「論語」の中の孔子のおっしゃった人生の折々の段階について、しみじみと感じるところがあります。つまり、「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従って矩を踰えず、思い邪なからむ」と念願された文章です。
私自身の人生を振り返ってみれば、40歳までは、主観独善の人生だったと反省しています。自分自身は無欲で家族や社会のために身を粉にして働いていると思っていました。41歳から、所謂、外国語の学習を始めて、10年間、50歳になって、天命を感じて、自分が独善であったことが、半分ほど客観できました。さらに、50歳から60歳までの10年間、集中的に留学生たちと切磋琢磨して、耳したがう・耳順の意味もわかるようになりました。それで、TEDというインターネットのスピーチ番組で、世界中の知識人、ノーベル賞学者、政治家から、スポーツマン、パラリンピックの選手、子供たちにいたるまで、800人ほどのスピーチを聞きました。非常に啓発され、勇気づけられました。孔子は74歳で亡くなられていますが、「心の欲するところに従って、矩を踰えず、思い邪なからむことを」と念願なさっています。私も、2,500年後に生まれた、異国の不肖の学生として、そのように生き続けたいと念願しています。
ここで、私の生い立ちを少し述べさせて頂けば、次のようになります。つまり、古文書解読・寺社の縁起や家門系図作成などを家業とする家に生まれました。
15歳の時、父と兄が病気で亡くなりましたので、家業を継ぐことになりました。二宮金次郎や宮沢賢治のような人生が少年時代の憧れでしたが、夢の実現は不可能になりました。
30歳まで、家業に熱心に励むと同時に、聖徳太子や菅原道真、水戸黄門、松尾芭蕉などの聖人・賢人の直筆を通して、古文書を研究しました。活字を通してではなく、著者の手の温もりを感じることのできる直筆を鑑賞し、解読する作業は、日本有史以来1,400年の時空を超えて、著者と直接対話することのできる非常に幸福な体験でした。もちろん、現在も継続しています。聖徳太子が信奉なされた法華経は当然のこと、孔子の論語は中国語で暗唱し、英語を始めた時からは、聖書を英語で読んでいます。「目からうろこ」、「豚に真珠」、「砂上の楼閣」などが、聖書の言葉だったり、論語の「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」が「情けは人のためならず」(節分の豆まきの行事=誠実・忠実、まめなる心を世間に広く施す行事)というキリストの言葉golden ruleの裏打ちの行事と知るにつけ、世界は一つなのだという認識を新たにします。
30歳~40歳までの間は、明治維新当時、衣食並びに教育制度の劇的な変化、特に、従来無意識にしてきた「呼吸」が、小学校などでの深呼吸導入で吸って呼く「吸呼」のシステムになってしまって以来、140年の間に、日本伝統文化が「温故知新」に鑑みて、発展したのか衰退したのかは、否定も肯定もできませんが、福沢諭吉の著書の記載事項や、廃仏毀釈、祇園祭は残っても祇園神社は改名してしまっているなどの事象を目にするにつけ、日本の歴史を尊重する私個人の本分を尽くしたいと念願して、ほとんど、忘却されてしまっている寺社の幕結び、菩薩の華鬘結び、天満天神の梅結び、その他、除夜の鐘、若水、節分など年中行事の由緒や日本伝統文化を整理編集して、一種の百科全書を作成し、宮内庁など、各関連組織に贈呈しました。
41歳の時から、英語学習を開始したのは、日本古来の文化、たとえば、仏教の慈悲の心の発露である華道・生け花の心や、女性が始めた歌舞伎、大名公家が尊重した茶の道・相撲・能楽などの由緒や思想などについて、真摯に興味を持っている欧米の人々に直接、紹介するためでした。
45歳の時、阪神大震災で、京大大学院の留学生たちを世話することになってから、論文・レポート・履歴書などのチェック・校正、並びに奨学金や教材支援活動を開始しました。
48歳、50歳の時に、英語・中国語通訳免許を取得して、TOEICなどの英語・中国語検定講座などを大学・企業で開始しました。
57歳の時、かつての英語の受講生であった、立命館大学の張永強さん経営の株式会社SSQQB事務所内で、京大・阪大の留学生・日本人学生を中心とする上記の支援活動などの国際文化学習交流活動を展開。この6年間、張永強さんは、会社の利益の30%を提供してくださって、交流活動を支援して下さっています。
59歳の時、張さんのご厚意で、ホームページを作成、CAL-GPCセンターを、株式会社SSQQB内に正式に開設。このセンターは、WikipediaやFacebook、Twitterなどのオンラインだけでなく、オフラインにおいても、世界中の人々と、知識を分け合い、学習し、助け合うことを目的としています。すなわち、インターネットでの交流だけでなく、実際に、事務所に集まって、お互いに切磋琢磨したり、困ったときに助け合う活動を意味します。
そうこうするうちに、留学生諸君が大学院を卒業して、母国その他で就職し、活躍し始めて、私にとっても時間の余裕ができたので、65歳の今年一月から、CALセンターを一般大学の日本人・留学生・在日外国人社会人に開放しました。
今までは、裏方になって、表面に出ませんでしたが、今年から積極的に前面に出て、日本語や英語指導、文化交流を楽しんでいます。「気持ちはあるけれど、体はついて来ないものだ。誘惑に陥らないように、初心を忘れないようにしなさい」というのは、キリストが捕らわれる直前に弟子たちを戒めた有名な言葉ですが、幸運なことに、私は孔子の「発奮しては食を忘れ、学び楽しみてはもって憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らない」という喜びを与えてもらって、心から感謝しています。
さて、次に、日本人の外国語学習についてお話しいたします。
「拝 ハイ Hi!」のように、外国語をマスターするのに、日本語は、最適な母語です。表意文字(漢字など)・表音文字(カタカナ・平仮名など)、つまり、日本語は、表意・表音の複合された理想的な言語ですので、母語を台木にして、接ぎ木すれば、おいしくて健康的な果物(外国語)が無理なく生み出されます。
Take care!♪ ⇔ 気をつけて♪  日本語を活用すれば、中国語と英語は発音と文法がほとんど同じですので、英語のできる人はすぐに中国語ができるし、一方、中国語を熱心に学習すれば、学生時代に苦手だと「錯覚」していた英語が生き生きと蘇って来ます。中国語を勉強するのは、「温故知新」の、「温故」であって、英語を勉強するのは、「知新」に相当すると思います。
♪ 真摯に・シンシニ・Sinsi-ni / Sincerely ♪

そこで、私の個人的な外国語学習状況を話したいと思います。私は子供の時は病弱で、幼稚園も行けず、一日中、家にある本を読んでいました。小学校高学年になって、元気になってきて、反抗期を迎えて、あまり勉強せずにスポーツばかりしていました。高校3年になって、まじめに勉強して、大学に行きました。日本古典文学は家業ですので、大学では中国古典哲学を選んで、孔子の言葉で論語や古典を読みたいと思いましたが、大学での講義は、中国語はタブーで、日本語、つまり、訓読で読んでいました。所謂、漢文です。仕方がないので、ラジオ講座で中国語を勉強して、自分一人で、中国語で論語を暗唱していました。
先ほどもお話ししたと思いますが、大学を卒業してからは、家業が忙しくて、40歳まで、語学とは無縁でした。私自身にとって、論語などによって学んだ人生哲学「粗食を食べ、水を飲み、肘を曲げて枕にして、粗末な家に住む、そのことを楽しみと為す」「吾、日にわが身を三度省みる。人のために謀りて、忠ならざるか?朋友と交わりて、信ならざるか?伝えて習わざるか?」などは、これまでの人生の貴重な座右の銘になっています。
したがって、大学も学費免除、奨学金も頂いた身としては、なんとか社会に恩返しをしたいと思って、先ほどお話ししましたように、41歳から、「結んで開いて」の心を実践しようと念願しました。蛇足ですが、この歌も、アメリカの教会の讃美歌の一つです。私たちが習っていた、蛍の光、埴生の宿、故郷、燈台守などは、すべて英米の教会讃美歌です。皮肉なことに、現在の英米人には、ほとんど知られていません。明治時代のキリスト教のCharity begins at home, but should not end there. 「この英語の意味は、家族が生活に一応困らなくなれば=結んで、―― 社会のために何か貢献したほうがよい=開く」という意味です。「四十にして惑わず」の「不惑」の人生概念だと思います。仏教では、「結んでほどく・如来・精進・解脱、つまり、生まれ来て、歩み努めて、去りゆく」、一般には「飛び立つ鳥は、跡を濁さず」の意味に通じるとも思われます。「誰により、、、」
そこで、人生の真の意義を求めて、日本文化を海外に紹介するために、英語を始めました。学習にあたっては、大学入試で懲りていますので、参考書は使用せず、映画などの実際のスピード、実際の会話を英語の字幕で読んで、オウムのように、そのままの発音を、頭の中で反復し、折にふれ、口ずさみ、耳に伝達するようにしました。これは、大人になってからの語学学習に最適・最良の方法だと信じています。
つまり、「百聞は一見にしかず」です。これは非常に楽しい作業です。子供の学習方法とは逆の方向になります。「子供は百見は、一聞にしかず」です。ただし、これは日常会話習得の段階の話であって、中等・高等教育の読み書きは、やはり、「百聞は一見に如かず」になります。つまり、「listen, hear, learn耳で学ぶ」、から 「stop, stare, study目で研究する」になります。
この英語学習作業によって得られた、思いもかけない、非常にすばらしい副産物は、日本語、特に漢字を書くことが非常に容易になったことです。英語がむずかしくなればなるほど、ラテン語・ギリシャ語になって、日本語と同様に、人偏やウ冠などの部首・偏と旁が活躍します。つまり、「接頭辞+語根+接尾辞」などを分解して組み合わせれば、非常に楽しく、正確に語意を把握することができます。たとえば、「語彙、vocabulary」という英語は、library, libre, ary, library,  voice, vocal, vocable, aryと分析していけば、意味だけでなく、確実に綴ることもできます。diarrhea, hemorrage, chrysanthemumなどは、有名なカナダの小説「赤毛のアン」で、知られるように、優秀な高校生でも綴ることができません。Spell it, do not get spelled.  漢字の書き取りの場合も同様です。英語を勉強するつもりが、思いもかけず、日本語・漢字の再発見になったのです。これ以降、「読めるけれども、書けない」という状況はなくなりました。
上の学習法を、「主観」と「客観」という「ひと」の行為から説明すれば、「人」という文字を、「ひとはお互いに支えあう、相身互いの心の持ち方が大切だ」とよくいわれます。これもすばらしい概念ですが、もう一つの概念、「ひと」というものは、主観(独善・偏向・自利)と客観(反省・公平・利他)の二つの自己によって、なっているものだという概念です。仁徳天皇はもとより、歴代のほとんどの天皇陛下は、お名前に「仁・ひと」という文字をご使用なさっていますが、これは、仁という文字の根本の意味、「克己復礼をもって仁と為す。一日克己復礼せば、天下は仁に帰す」という論語のもっとも大切な理想によるものだと思われます。つまり、天皇陛下が身を以て、己に克ちて、礼を踏み行えば、天下の人々はすべて仁の心を持つようになる」ということになります。つまり、仁とは二人の人、二つの自分であって、主観の自分と、客観の自分ということになります。
そこで、「人」という文字にもどれば、15歳までの主観・自己中心の自分に加えて、「15歳にして学に志す」という客観の自分の成長が開始して、ともすれば主観我儘に堕しがちな自分を、客観公平なもうひとりの自分が、制御することによって、30歳にして立つという「而立」の哲学が確立すると考えられています。繰り返しますが、英語を勉強しているつもりが、いつのまにか、中国古典、日本古典の再発見になっていたのです。まさに「目からうろこ」でした。
英語通訳の資格を取ってから、今度は中国語学習を深めていくと、英語と中国語が同族で、漢字とアルファベットだけが、異なるんだということを、実感するようになりました。数十万年間の言葉だけの時期は、英語も中国語も同じ言語だということになりますが、わずか数千年前に、文字を発明使用するようになって、「穴」が英語ではoでmouth, noseになり、漢字は口になって口を表すようになってから、アルファベットと漢字の書きのシステムが別々に発展して、今日の文字システムになってしまったと思われます。
この文字の化粧、表面的な変化によって、中国語や英語、さらに、日本語までもが、「ヒトhuman」の共通性が見失われて、異文化外国語になってしまったということです。つまり、皮膚の色に化かされて、皮膚の下に流れる血液に気がつかなくなってしまったのです。
このことを踏まえて、先に述べた「接ぎ木学習」がいかに有用であり、その作業そのものがいかに楽しいものであるかについて、述べたいと思います。「三色桃」などという三色の花をつける花桃がありますが、この「接ぎ木」の方法を語学学習に活用すれば、日本語の台木に英語や中国語などの言葉の花はいくらでも咲かすことができます。そのために、一番大事なことは、オーケストラ・協和・ハーモニーの気持ちです。
自然に備わっている楽器「唇・舌・歯」自分の楽器の特徴を活用し、他の楽器の特徴を理解することによって、調和ある和気藹々の音楽が生まれます。つまり、母語を愛さないで、外国語を習得することは、不可能だということです。母語を忘れて、外国語をマスターしても何の意味もありません。日系アメリカ人の価値は、日本語ができるアメリカ人であることが、基本ですので、最近は日本の大学に来て、日本語を学習する日系アメリカ人は多くなっています。
さらに、音楽とは、音を楽しむことですので、ユーモアの心を持つことが肝要です。音楽は好きですが、音痴の私でも、外国語が一応習得できているので、少しは説得力があると思います。つまり、ユーモアをもつことです。それは、あらゆる言語は「ひと・ヒューマン」の言葉であることを認識することです。人間共通の言葉で、温かい血液と同じです。
日本語だけで語源を考えても、井の中の蛙に終わってしまいます。「純粋な日本語」という考え自体が非常に幼稚です。たとえば、戦後数十年だけでも、外来語が充満してしまっています。今では、これらの外国語も立派な日本語です。明治時代の英語の「背広Savile Row/civil clothes」は、現在ではほとんど使用されず、「スーツ」になってしまっています。1,000年前には外来語だった「しだらなし、さわか、ぬばたま」などは、今では、完全に古語になっています。数百万年、数十万年、数万年、数千年単位で考えれば、非常に楽しくなるだけでなく、地球規模で、心が公平になり、差別する狭い心などが生じる余地などはありません。
ユーモア学習を、英語学習を例にとって、説明しますと、日本語と英語を同じテーブルの上において、客観吟味することです。英米人はローマ字読みが苦手なので、日本語を英米人のように発音してみれば、日本語も英語も、「ひと・human」の言葉だと感じられます。たとえば、「はい、しんしに、さくら、せいじん、おうごん、きれい、わらふ、しかるな、」などです。
さらに面白いのは、ABCの歌とイロハ歌の共通点です。この概念は、Row,
row, row your boat,,,の歌と聖徳太子の世間虚仮・諸行無常にも通じます。
1,000年前には、「わだつみの声を聞け」の「わだ・つ・み」は現在では「うみ・の・神」ですが、「water’s myth=water’s god」とすれば、さらに日本とアメリカがもっともっと親しくなると思います。
蛇足ですが、お水取りの水を、あか、あかみず、わかみず、といいますが、
これはインドサンスクリット語乃至ラテン語で、現在は英語にもなっています。Aqua-Lung, Aquariumなどです。さらに、祗園スサノオとアポロ、カンフルの木であるクスノキ・月桂樹、キリストと厩戸王聖徳太子、I think, therefore I am.
このように考えてきますと、CAL-GPCグローバル平和センターの国際文化学習交流活動は、グローバル時代にあたって、非常に有意義な地球社会教育事業になっていると強く感じます。
さらに元気づけられることには、卒業就職して、生活が一段落してきた留学生諸君の有志が世界各地にCAL分校を開き始めています。
この20年間は、私個人と、田村ハルノさん、西林広純さん、山岸操江さん、そして張永強さんの5名が、中心になって、運営してきましたが、広く一般の善意ある方々の協力を仰ぐ段階に達していると考えます。
たとえば、田村さんは、今年数え年95歳ですが、会費で留学生の衣食住などの金銭的支援をするだけでなく、自宅に招いてごちそうしたり、ホームステイなどもしてくださっています。
西林さんや山岸さんは、留学生自身が交通事故や急病になったり、両親が亡くなって帰国するなどの時、物心にわたって支援してきてくださっています。
皆様方の中で、CALの活動に、ご関心をお持ち下さる方がいらっしゃいましたら、CAL-GPCのホームページをご覧になってください。 お問い合わせくだされば、詳細をご紹介いたします。よろしくお願い致します。

少し時間の余裕がありますので、祇園神社のスサノオ尊とクシナダ姫の恩愛、心温まる日本最初の馨しい和歌と伝わるところの「八雲立つ 出雲八重垣  妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」にかけて、拙い謎々を披露します。
「かみさまは、かみにやどると、せいなるかみに、かいてあると、うちのかみさんがいった。」という、古今東西の伝説を結びつけられればとの願いを籠めた謎々です。意味を類推してくださって、お笑い頂ければ、幸甚でございます。

CAL―GPC:    http://cal-gpc.org/
くすのき書院ローレル: http://www.gion1224.jp/
CAL-GPC会員の特典
基本的に、以下の項目は教材等、実費で受け付け、または、受講して頂けます。
① 翻訳・通訳サービス
② TOEIC・TOEFL・中国語検定など。
③ 韓・中・英・仏など各国語会話
④ 日本伝統文化・歴史解説
⑤ 古典・漢文指導
⑥ 組みひも・花結び